人生の「最後」に立ち会う
介護士K (@kaigo_kk) です。
今回は「不思議」な話をします。
15年間介護の仕事をしてきて、多くの人生の「最後」に立ち会ってきました。「死」に関しては、人それぞれ様々な想いがあると思いますが、私がよく感じること。
人は「去り際」を弁えているのでは?
介護の仕事をする以前は「死」は辛く、悲しく、怖いものでしたが、介護の仕事をはじめて考えが変わりました。
今回は、そんな事を感じた3つの不思議なエピソードをご紹介します。
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人生の最後に立ち会う
寡黙な太郎さん(仮名)
太郎さん(仮名)は、ベッドから起こす時も、食事介助の時も、入浴介助の時も、一言も喋らず常にムスッとしている人でした。
ムスッとしていますが、介護拒否などはなく、当時新人だった私は
元々こういう人なんだろうな。
と思っていました。
ある日、太郎さんの入浴介助をしていました。浴室内では、いつも通りムスッとした表情で、一言も喋りませんでした。浴室から出て着衣介助をしていると…
ありがとね、いつも世話になるね。
と言いました。いつもはムスッとして一言も喋らない太郎さんは、その日は珍しくよく喋りました。
当日出勤していた職員や、夜勤で出勤してきた職員にその話をすると「へぇ、珍しいね」と皆口を揃えて言いました。
翌日夜勤で出勤すると、太郎さんはもう居ませんでした。朝、起こしに行ったら、眠るような安らかな表情で息を引き取っていたとの事です。
陽気な花子さん(仮名)
明治生まれ、103歳の花子さん(仮名)
明治天皇は男前だったなぁ。大正天皇、あれはダメだ。
それが口癖でした。よく喋る、面白い人でした。食事はあまり食べずに大好物の「鳩サブレ」ばかり食べていました。
そんな花子さん、ある年のお盆に、何十年も会えていなかった親戚が面会に来て、久々に再会することができました。その日の夜、陽気な花子さんがいつもとは違う声のトーンで…
幸せな人生だった。もう、思い残すことはないわ。
遠くを見つめて、こんな事を言いました。陽気な花子さんがそんな事を言ったので、不思議に思いました。
花子さんは、その日の夜中、静かに息を引き取りました。
お酒好きな三郎さん(仮名)
同室者とトラブルを起こしたり、介護拒否をしたりと、職員を困らせることの多かった三郎さん(仮名)。
三郎さんはお酒が大好きで、夜勤中によくお酒の話をしました。ウィスキーが好きな人でした。
三郎さんはお孫さんをとても可愛がっていて、お孫さんの結婚式に行くのを楽しみにしていたのですが、徐々に体力が落ちていき、寝たきりになってしまい、結婚式へは出席できませんでした。
そんな三郎さんのために「施設で一緒に記念写真を撮りたい」とご家族から要望がありました。勿論、快諾しました。
当日、お孫さんは結婚式で着たウェディングドレスに着替え、ご家族も正装に着替え、リクライニング車椅子に乗った三郎さんを真ん中に、記念写真を撮りました。
とても素敵な写真でした。三郎さんはとても幸せそうでした。
生きてるうちにあの子(孫)の晴れ姿が見れて良かった。
その日からしばらく、ずっとそんな話をしていました。
数日後、三郎さんは息を引き取りました。
介護職は「死」と隣り合わせ
人生の最後に立ち会う。
時に壮絶で、トラウマになるような経験をする事もありますが、人生の最後に立ち会うという尊い経験ができます。
新人の頃、初めて他人の「死」に直面した時は動揺して、現実を受け止めるのに時間が掛かりました。
最近は、どんな形であれ天命を全うした人に「お疲れ様でした」と思うようになりました。
介護の仕事は「死」と隣り合わせ。
それ故に難しく、それが受け止められなくて、辞めていく人もいます。
向き不向きはあるし、大変な事も多々ありますが、人の「人生」に関われるという経験は、この上ない財産だと私は思っています。