介護士Kの波乱万丈記①
介護士K (@kaigo_kk)です。
「自信ない」人は、ぜひ読んで。
私のTwitterを見てる方はご存知だと思いますが…
- 自分勝手になれ
- 仕事は暇つぶし
- 向上心は必要ない
- 人生に意味なんて無い
- 楽に生きることたけ考えろ
みたいな発信ばかりしています。
これはプロモーション戦略でも何でもなく、ただの「素」です。
取り繕うのが苦手(というか無理)なので、素100%で生きてます。
私の発信内容は、私が日々考えている事、実践している事そのままです。
こんな発信をしていると…
「どうして、そんなに振り切れるの?」
と、よく聞かれます。
聞きたくなる気持ち、解ります。
たぶん、過去の私が今の私を見たら、同じことを思うはずです。
生まれつきこんな考えだった訳ではなく、様々な経験を経て、今のようになりました。
今回は、私がこんな価値観になった経緯について、書いてみようと思います。
いつもの記事は意図的に1500~2500文字くらいに抑えてますが、今回は余裕でトータル10000文字を超えると思います。
構成も何も考えず、思いつくがままに書き殴っていきます。
誰得かは不明だし、誰に向けても書きません。
ただの自己満足です。
暇すぎて爆発しそうな人だけ読んで下さい。
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「現在」と「過去」
私の「現在」と「過去」に触れておきます。
「現在」の私
現役介護士です。
介護歴16年目に突入しました。
サブリーダー、リーダー職を経て、今は「平社員」としてストレスフリーで働いています。
年収は凡そ600万円。
少し前まで副業をしており、本業以外に月数万円くらい稼いでましたが、最近は止めました。
厳密には完全には止めておらず、収益は入り続けてますが、先月の収益は【250円】でした。
初の赤字です。
維持費だけでもペイしたいので、今月の収益目標は【700円】に設定しました。
700円稼げれば【40円】の黒字です。
私生活では結婚してます。
子供はいません。
奥さんは超美人です。
年上なので、もしかしたら昔の美人と言ったほうが正確かも知れませんが、そんな事言うと嫁にこ●されかねないので、美人という事にしておいて下さい。
今でも定期的に高級ランチデートをするなど、超仲良しです。
趣味はバイクで、ハーレーダビットソンに10年くらい乗ってます。
意識低い系なので、生産性とか、成長とか、そういう事には一切興味がなく、ただひたすらノンビリ暮らしてます。
緻密な計算と生活設計の結果、死ぬまでお金の心配が無いことが分かったので、公私ともにストレスフリーな人生を送っています。
第三者から見たら「リア充」の部類だと思います。
「過去」の私
子供の頃の私は、コンプレックスの塊でした。
- デブ
- 小心者
- 内弁慶
- モテない
- 人見知り
- 優柔不断
- 運動音痴
負の要素しかありませんでした。
子供の頃、そんな自分が大嫌いでした。
自意識過剰な上に立派な「中二病」だったので…
(俺の実力はこんなモンじゃない!!)
不満と怒りに満ち溢れてました。
弟が1人いて、彼は運動神経が良く、友達も多く、モテていました。
ファッションセンスもあり、当時のトレンドを押さえて、お洒落を楽しんでいました。
イケてる弟と、イケてない兄…
そんな感じでした。
比較対象がいたので、自己嫌悪に拍車が掛かり、不満と怒りは増していきました。
- 理想と現実のギャップ
これに対する不満と怒り。
「理想と現実の壁をぶっ壊す!」
人生ミッションが決定しました。
理想と現実の壁をぶっ壊す!
理想と現実のギャップからの不満と怒り。
これをぶっ壊すために必要なのは成功体験でした。
中学時代
当時バカだったので(今もだろ)ロジカルに考えてはいませんでしたが、理想と現実のギャップをぶち壊すために必要なのは成功体験だと、頭の片隅で思ってました。
てっとり早く成功するには…
- マイナーなジャンルで結果を残す
これだと思い「部活」を探しました。
野球・サッカー・バスケ…
こんなメジャースポーツで頭角を現すのは無理なので、マイナースポーツを探しました。
そこで見つけたのが…
- バドミントン
部員数もそんなに多くなく、メジャースポーツに比べたら結果が出しやすいのではと思い、入部しました。
(正確には1コ上の可愛い女子先輩に勧誘されたからです)
ところが、そんなに甘い世界ではありませんでした…
オリンピックなどでバドミントンの試合を観た方はお分かりかと思いますが、バドミントンって…
超ハードです。。
子供の頃やった「羽根つき」の延長くらいに考えていて、デブで運動音痴な自分でも出来ると思っていたら…
- 超走らされる
- 上下関係超厳しい
- 体育館は灼熱地獄
1年生は基礎体力づくりと言われ、とにかく走らされました。
コートには入れてもらえず、体育館の隅でひたすら素振りをしたり、先輩が打ったシャトル(羽根)を拾ったり、練習後に体育館の雑巾がけをしたり…
地味練習&雑用メインでした。
スラムダンクで言うところの、桜木花道が彩子さん指導でひたすらダムダムしていた頃のような感じ。
(こんな地味な練習じゃなく、はやくスラムダンクさせろ!!)
そんな野望に満ち溢れてました。
ところが、地味な基礎練習が功を奏したのか、徐々に結果が出るようになってきました。
2年生になり、3年生が夏の大会後に引退すると、部長に抜擢されました。
(押し付けられたとも言う)
秋に開催された地区大会で優勝。
全校生徒の前で表彰されました。
これが、人生初の成功体験でした。
その勢いで冬の大会では…
- 地区大会準優勝
- 横浜市大会ベスト8
- 県大会出場
という結果を残しました。
自己管理が出来ておらず、大切な県大会当日に39度の熱を出し、実力的には勝てる相手にフルセットの末に負けてしまい、初めて悔しくて泣きました。
この経験もまた、後の財産になりました。
結果を出したことで、地区ではそこそこ有名になり、地区大会のトーナメントを観て…
「2回戦でK…俺の夏オワタ。。」
みたいな声が聞こえてきて、少し優越感を感じました。
最後の夏の大会。
地区大会で優勝して
臨んだ横浜市大会2回戦。
冬の大会準優勝の第2シード選手と対戦しました。
周囲の予想を上回る健闘をみせ、気付いたら「決勝か!?」ってくらいのギャラリーに囲まれてました。
結果、フルセットの末に惜敗。
この時も、悔しくて泣きました。
この大会を最後に引退。
始めた切欠は下心でしたが、気付いたら没頭していて、引退した時は心にポッカリ穴が開いたような感じでした。
- 負けた時の挫折体験
- 勝った時の成功体験
貴重な経験を同時にできました。
高校時代
バドミントンで頑張って結果を残し、初めての成功体験をしました。
次なる野望は「モテる」でした。
中学時代、バドミントン部のハードな練習で痩せて、主将で、大会優勝とかしていたので、それまで完全なる非モテでしたが、少しモテました。
人間、どんどん欲が出てくるもので…
「もっとモテたい!!」
となるのは必然でした。
そこで次に選んだのが…
- 音楽(バンド)
バンドマン=モテる
という浅はかな発想で、軽音楽部に入部しました。
中学3年生からギターをやっていて、少しは弾けたので…
「文化祭のステージでギター弾いてモテモテ」
という妄想を抱いて入部したものの
秒で夢打ち砕かれました。
同級生に超ギターが上手い奴がいて
しかもイケメン。
同級生でバンドを組むことになり、当然、ギター担当はそのイケメン。
「お前、ギター下手くそだから、ベースやれ」
と言われ、半ば強制的にベースギターにさせられました。
- 文化祭モテモテ作戦
は儚く消滅し、地味で一番人気のないベースというポジションになってしまいました。
ところが、ベースを始めてみたら予想の200倍面白くて、気付いたら没頭していました。
授業の合間、昼休みには部室でベース弾いて、放課後はほぼ毎日バンド練習。
夏休みは灼熱の音楽室で毎日バンド練習。
家に帰れば、食事、風呂以外の時間はベースを弾いて、40度の高熱が出て学校を休んだ時も、親に隠れてベースを弾いて…
そんな毎日でした。
そんなに弾いていれば上達するのは当然で、気が付けば、学校で1番ベースが上手くなっていました。
ライバルが少ないので大した事ではありませんが、これが2つ目の成功体験になりました。
高校最後の文化祭では、受験勉強そっちのけでバンド練習をして、例年グダグダな文化祭のメインステージで熱狂的なライブパフォーマンスを披露し、伝説的な盛り上がりをみせました。
ただ残念だったのは…
モテませんでした。
これも、ある種の挫折経験でした。
中学時代と同じく…
- 成功体験
- 挫折体験
をダブル受賞しました。
大学時代
バンドを始めた切欠は「モテたい」でしたが、バンドに没頭したもののモテなかったので、「モテる」に関してはミッション未達成。
次なる狙いは「お洒落」でした。
それまでの私は、クソダサい奴でした。
高校2年頃まで、親が買ってきた服を着てるような奴でした。
母親から…
「あんた、そろそろ自分で服買えよ…」
とか言われてました。
学校は制服なので誤魔化せても
私服はクソダサい…
ココ何とかしないと絶対にモテないので、高校3年頃から、教科書そっちのけでファッション雑誌を読み漁るようになりました(受験勉強しろ)
大してお金も無いのに、休みの日は裏原宿、代官山、下北沢…などに通っては、オシャレなお兄さん、お姉さんを観察していました(受験勉強しろ)
ファッションは「自分を知る」ことが超重要で、手に取ってカッコいいと思った服が似合うとは限りません。
熟考して買って、帰って着てみて…
「なんか違う…」
という失敗をくり返し、結局「お洒落」キャラには成れませんでした。
ただ、この時代バイト先で彼女ができたり、超かわいい彼女ができたり、それなりに充実した大学生活でした。
「お洒落」ではモテませんでしたが、この辺はドローといった感じでしょうか?
中学時代から散々モテようとしてきましたが、結局は泥臭く動かないとモテないという事がよく分かりました。
そして、自分が実は肉食男子という事も解りました(最近はめっきり草食)
モテるというミッションは成功体験という事にしておきましょう(疑惑の判定)
言うまでもありませんが、勉強は全くしてませんでした。
お父さん&お母さんゴメンナサイ(反省はしていない)
ブラック営業時代
この時期、人生最大の挫折体験をしました。
大学時代、バイト先で重宝されていて、そこそこ接客に自信があったので、営業も出来るんじゃないかと思っていたら、激甘でした。。
超就職氷河期で就職浪人が出まくっていた時代なので、最初に内定を貰った商社に、深く考えずに入社を決めてしまいました。
ところが、入社して配属になったのは北陸地方…
配属は家から通える範囲になると思い込んでいたので、晴天の霹靂でした。
住むのは社員寮、先輩との共同生活…
プライベート皆無…
超体育会系の上下関係…
遠距離恋愛~破局…
何とかなると思った営業はそんな甘いものではなく、全く結果が残せず…
- プライベート崩壊
- 結果出せず自信喪失
- ストレスから持病アトピー激悪化
人生最悪の時代でした。
会社自体もかなりブラックで…
- 43日連続勤務
- サービス残業まみれ
- 先輩からの暴力
結構ヤバかったです。
相性の悪い先輩が何人かいて、ターゲットにされ、殴られたり、蹴られたりしました。
怪我をするレベルではないですが、完全にトラウマになり、先輩に怯えて、緊張してミスをして、更に怒られる、殴られる、蹴られる…
私がミスを連発して、会社に散々迷惑をかけていたので、一概に先輩が悪いとは言えませんが、とにかく毎日怯えていました。
当時電話でよく話してた女友達に先日…
「あの頃、完全に病んでたよね」
と言われました。
そんな地獄の日々でしたが、ある日先輩から言われた事に無性に腹が立ち…
「いまに見てろよこの野郎。。」
切欠は忘れましたが、ある時から仕事に全集中するようになりました。
売り上げで先輩を抜いたり、贔屓にしてくれるお客さんが何人も出来たり…
苦手だった先輩にも、納得いかない時は喰ってかかったり…
全国売上トップの店長から…
「K、成長したな」
と言われたり、自信を取り戻し、充実した日々を送るようになりました。
ただ、会社自体がブラックなことは変わらず、このまま続けていたら絶対に身体を壊すと思い、退職を決意しました。
退職に当たって、何度も上司とぶつかりましたが、最後は上司が根負けしました。
仕事で一皮剥けたことで成功体験できたので、ここでのミッションはコンプリート。
2年という短い期間でしたが…
- 自分はどんな人間が苦手で、関わらないほうが良いか
- 人間は、本当に孤独になると底力を発揮する
という、後の人生で最も財産になる教訓を得ました。
そして、内心弱いと思っていた自分は実はけっこう逞しいということに気付きました。
無職時代
営業職を経験して解ったこと。
- 営業には向いていない
- 鎬を削る仕事に向いていない
元々ボーっとした性格で、成績を競うバリバリのビジネスマン、新しいイノベーションを生み出す的な仕事に向いていないことが解ったので、別の仕事をしようと考えました。
営業時代、年収が600万円くらいあり、当時は失業保険が今より貰えたので、しばらく失業給付を貰いながらノンビリしようと思いました。
この時、人生でトップ3に入る学びを得ました。
- 暇すぎると病む
営業時代、ブラック労働をしていたので、しばらく何もせずにボーっとしてようと思ったのですが…
1週間で飽きました。
そして、2週間目には動き始めました。
以前、営業時代のお客さんから…
「あなたは営業をするには優しすぎる。介護とか向いてるんじゃない?」
と言われた事がありました。
失業保険の手続きにハローワークへ行った時、ふとその言葉を思い出し、職業訓練のチラシを手に取り…
- ヘルパー2級講座
に申し込みました。
介護職になろうなんて全く考えてませんでしたが、取り敢えずヘルパー2級が取れたし、暇に耐えきれなくなっていたので、求人に応募し、面接して、その日の夕方に採用の電話がきて、特別養護老人ホーム(特養)で、介護職キャリアをスタートしました。
介護業界へ突入
営業時代は完全なる男社会だったので、介護の社会は摩訶不思議アドベンチャーでした。
挨拶を無視するコミュ障の先輩、新人にネチネチ言ってくる根暗な先輩…
お局という生物を見たのも、この時が初めてでした。
要領はそんなに悪くないので、未経験でしたが着実に仕事を覚えていき、半年後には夜勤も1人立ちできるようになりました。
独特な人間関係にも慣れ、可愛がってくれる先輩もでき、少しずつ介護業界に慣れていきましたが、唯一にして最大の問題点が浮上してきました。
それは…
- 給料が安すぎる
夜勤4~5回やって…
手取り18万円以下…
営業時代は月37万円くらい貰っていたので、半分以下…
(20代前半で37万円は多かったとはいえ、ブラック労働だったので、時給換算したら悲惨な金額)
1人暮らしだった為、家賃、光熱費などを支払ったら、残りは僅か…
定年間近のベテラン先輩には…
「あなた、大学出てるのにこんな仕事して、ご両親は悲しんでいるんじゃない?」
「この仕事じゃ、給料安くて結婚出来ないわよ」
「娘が連れてきた男が介護職だったら、結婚反対するわ」
みたいな事をよく言われました。
次なるミッション決定。
- 介護職で人より稼ぐ
第①話はここまで。
次回:『介護士K、介護福祉士受験』
お楽しみに。