介護士Kの波乱万丈記②
介護士K (@kaigo_kk)です。
『介護士Kの波乱万丈記①』の続編です。
①を読んでない方は、先ずは①をご覧ください。
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理想と現実の壁をぶっ壊す!!
介護施設(特養)で働きはじめ、夜勤もできるようになり、所謂「一人立ち」となりました。
それまでは上司・先輩について回っていましたが、1人で動くようになりました。
まだまだ信頼されるレベルではありませんでしたが、そこそこ順調に仕事を覚えていたので…
「この子、ハズレじゃないな」
上司・先輩からは、こう思われていたと思います。
こういうのって、相手の態度を見てると分かりますよね。
仕事を覚えるので精一杯だった頃とくらべて、少しずつ気持ちにゆとりが出来てきたので、回りの人間観察をするようになりました。
(人間観察は趣味です)
介護施設の人間関係
私が勤めていた特養は「2つの棟」に分かれていて、「本館」「別館」と呼ばれていました。
2つの棟を統括している介護主任が1人。「本館」「別館」に副主任が1人ずついました。
私の所属は「別館」で、直属の上司は副主任でした。
2棟を統括する介護主任は、キャリア20年以上の大ベテラン。
入職当初からずっと「本館」所属だったためか、誰が見ても明らかな「本館」贔屓でした。
加えて、介護主任は私の上司である副主任と相性が悪く「別館」は何かと冷遇されていました。
介護主任は、1人の介護士としては、教え方も上手く、尊敬できる先輩でした。
ただ、感情先行で動く側面があり、統括リーダーとしては、なんとも微妙な感じでした。
「本館」には、同期入社の同僚がいました。
同い年。同じ未経験スタート。
1人立ちのタイミングも一緒。
そんな同僚と飲み会の席で「ボーナス」の話になり、金額を聞いたところ、私より数万円多く支給されていました。
(実力・経験ともに大差ないのに、なんで俺のほうが少ないんだ…)
自分の評価は上司がするものであり、私が差がないと思っていても、上司から見たら私のほうが劣っていたのかも知れません。
ただ、同じく同期入社である「別館」の同僚とは、ほぼ同じ金額でした。
前年度の収入により所得税・住民税額が異なるので、多少の差はありましたが、誤差の範囲でした。
「本館」の同僚とは、誤差レベルの差ではありませんでした。
人事考課は…
- 介護副主任
- 介護主任
- 施設長
という順番で最終評価は施設長ですが、その前に介護主任が評価を行います。
(「本館」贔屓で全然「別館」に来ないくせに、どうやって俺のこと評価してるんだ…)
不満が募っていきました。
とはいえ、まだまだ半人前だった私は、そんな不満を抱えつつも、日々淡々と仕事をして、キャリアを重ねていきました。
ここでの教訓。
- どんなに親しい同僚とも「お金」はすべきではない
本格的に「バンド活動」開始
特養で仕事をしはじめた頃から、本格的にバンド活動をスタートしました。
高校時代は、校内で練習をして、文化祭で発表するという、大学でいう「サークル活動」のような感じでした。
この時期に始めたのは、ライブハウスでライブをしたり、レコーディングをして音源を発表するといった「外」で活動する本格的なバンド活動。
音楽はずっと好きで、大学進学以降も楽器(ベースギター)の練習は続けていました。
ただ、音楽以外にも、アルバイト、飲み会、恋愛…
人並みに大学生活を満喫していたので、音楽への情熱は冷めていました。
その後、2年間のブラック営業時代に突入。
この時期、プライベートは無いに等しく、この経験から…
- 人生やりたい事やらないと後悔する
と痛感しました。
「やり残したことは…」
そう考えた時、頭に浮かんだのが音楽(バンド)でした。
当時、SNS黎明期でmixi(ミクシィ)が大流行していました。
音楽スタジオ、レコード店などに貼ってあるメンバー募集の張り紙、mixiのメンバー募集を片っ端からチェックする毎日。
気になった人と連絡を取って、良いなと思ったら直接会って、意気投合したら音楽スタジオで一緒に演奏して…
演奏力、人間性、相性…
相手に気に入られても、私が納得できずに断ったり…
私は惚れ込んでいたのに振られて泣いたり…
かなりの人とコンタクト取りましたが、なかなかメンバーは見つかりませんでした。
私は、大して楽器演奏は上手くなかったですが、それなりに弾けたので、結構モテモテで、色んな人を振りまくってました。
(これくらい女の子にモテたかった…)
そして、1つの理想的なバンドと出会い、オーディションの結果、加入することになりました。
趣味ではなく、プロ志向の本格的なバンドだった為…
- 介護職
- バンド活動
忙しい「二足のわらじ」生活がスタートしました。
夜勤明けで夜スタジオ練習したり…
深夜レコーディングをして、寝ずに出勤したり…
ライブ打ち上げで終電逃して、寝ずに出勤したり…
終電とズブズブな関係でした。
今、同じことやれと言われたら絶対に嫌ですが、当時は無我夢中でした。
2度目の青春でしたね。
若かった…
「介護福祉士」
色々と不満を抱えながらも、介護職としてのキャリアを重ねていき…
「介護福祉士」の受験資格を得ました。
当時、給料手取りは18万円前後。
「介護福祉士」の資格手当は…
- 5000円(うろ覚え)
この時期の5000円は超デカかったので、一発合格を目指して勉強しました。
思いのほか勉強が面白く、途中から過去問を解くのが楽しくなっていた記憶があります。
今はどうか分かりませんが、当時の介護福祉士の受験は…
- 実技試験免除講習+学科
- 学科+実技
という2つの選択肢がありました。
実技試験免除講習(正式名称忘れた)を事前に受けて、試験当日は「学科」試験のみ受験。
試験当日に「学科+実技」試験を両方受験。
学科試験に合格しても、実技試験に不合格だど、不合格。
免除講習を受けていれば、学科試験のみ合格すれば、合格。
実技で落ちるのが嫌な人は、免除講習を受けるといった感じでした。
私は、筋金入りの安定志向なので…
- 免除講習+学科
という方法をとりました。
ところが、この免除講習、計4回で受講料が…
- 8万~10万円
主催する所によって金額が違えど、どんなに安くても8万円…
薄給の介護士に対する嫌がらせとしか思えず、怒りを覚えました。
当時、給料安かった上に、バンド活動費用(スタジオ練習、レコーディング費用、交通費など…)で超貧乏だったので、超悩みました。
ただ「学科+実技」でしくじって留年(?)した場合、資格手当の5000円は最短でも1年後に先送り。
加えて、受験費用も倍(けっこう高い)
試験内容が翌年でガラッと変わり、合格率が急落する事もある…
2年連続で落ちて、結局、免除講習を受けた先輩もいたり…
下手なリスクを取るより、確実な方法で一発合格するほうが、コスパ的にも、精神衛生的にも良いと判断し、免除講習を受けることにしました。
とはいえ、ムダなお金はびた一文払いたくなかったので、同期の同僚と一番安いところを徹底的に探し、休日返上で免除講習に通いました。
自動車運転免許の違反者運転講習みたいに、適当に座学聞いてれば終わると思っていたら…
超ハード。。
毎回課題出されるし…
8万円払わさるし…(払ったのはお前の意思だろ)
夜勤明けでバンド練習して終電帰宅…。
翌日、朝から免除講習…
ヘロヘロで帰宅し翌日早番…
超疲れましたが、何とか4回の講習修了。
学科試験も一発合格し、晴れて「介護福祉士」と資格手当5000円ゲットしました。
当時の思い出は、免除講習が過酷だったという記憶しかありません。
そして、心底思ったのは…
介護福祉士、受験コスト高すぎ!!
- テキスト代等
- 実技試験免除講習(任意)
- 受験費用
- 資格登録費用
トータル、余裕で10万円超。
介護士の毎月の手取りは13~20万円程…
最近では、受験費用を一部負担してくれる施設・転職エージェントがありますが、当時そういうものは全くなかった(知らなかっただけかも)ので、一瞬本気で日本を滅ぼそうと思いました。
書き疲れたので、今回はここまで。
次回:『介護士K、派遣になる』
お楽しみに。